起動事故(第15話直結/A4正式稿)※差し替え案
世界が、一拍、遅れる。
遅れたのは俺じゃない。周りだ。空気の膜みたいなものが一枚だけ遅れて、俺だけがその外側に出た感じがする。景色は同じなのに、音が薄い。街灯の光が、画面の明るさみたいに均一で、怖い。
「……あー、やだやだやだ。これ、来た。来たわ。俺の人生に来なくていいやつ来た」
言った瞬間、言葉の“意味”だけ置き去りにされる。口は動いた。声も出た。でも身体は、もう次の位置にいる。
前方のドローンが、同時に角度を変えた。隊列は崩れない。崩れないまま、俺の“逃げる方向”だけを丁寧に削りにくる。嫌なほど、真面目だ。もっと雑にやってくれ、って思うのもおかしいけど。
光線。
ビーム。細い。速い。
肩に熱が走る。制服の布が焦げて、焦げた臭いが遅れて鼻に来た。
「熱っ! っていうか普通に熱兵器なんだが!? ちょっと待って、これ『軽微な事故』で済むやつ!?」
返事はない。ドローンは会話をしない。結果だけを置く。だからこそ腹が立つし、腹が立つ余裕があることに自分で驚く。いや、驚いてる暇もない。
視界の中央に、文字が出た。
消えない。
瞬きをしても、目を逸らしても、そこにいる。
【AXIOM】
状態:オンライン
優先権限:システム
反射補助:起動
運動補助:起動
「……いや待って待って、俺そんな契約してない!! 同意もしてない!! 利用規約も読んでない!! っていうか読む時間なかった!!」
文字は返事をしない。代わりに、身体が返事をする。
ビームが来る。避けた、という感覚がない。気づいたら当たらない位置に立っている。避けるというより、最初からそこにいたみたいに。遅れて心臓が跳ねて、遅れて膝が笑う。順番が全部逆で、めちゃくちゃだ。
「……は? 今の、俺がやったの? 俺、こんな反射神経あった?」
ない。
あるわけがない。
でも、足がまた動く。自分で動かしたいわけじゃない。止まりたいのに、止める“前提”が俺の中に残っていない。AXIOMの文字が、勝手に次を決めているみたいに見える。
【警告】
制御遅延:検出
操作者側:遅延
遅延。
俺のほうが。
「……いやいやいや、遅れてるの俺!? 俺の脳みそが通信障害起こしてるってこと!?」
笑い声にしたかったのに、声にならない。喉が固い。息が浅い。怖い。怖いはずなのに、怖さがブレーキにならない。怖さは後から追いついて、追いついた頃にはもう次の動作に入っている。
空。
ドローンがまた配置を変えた。
今度はビームじゃない。光の線が“張られる”。柵みたいに、区画みたいに、逃げる場所を作らないための線。線の向こうで、人が止まる。止まる理由はない。でも止まる。止まることが“正しい”と世界が決めた感じがする。
「……うわ、柵みたいに張るな!! 駅前を動物園みたいに区画整理すんな!!」
そして――刃。
見えない。
でも、いる。
空間の圧が一段変わる。線が一本増えたように、視界が切り分けられる。刃は歩かない。跳ばない。結果だけが来る。来るはずだった。
なのに、刃が“来ない”。
正確には、来たのに、来た結果が俺に届かない。身体が、勝手にそこを外れている。
【反射補助】
危険域:回避
次動作:生成中
生成。
誰が?
俺じゃない。
「……生成って何だよ。俺の人生、生成AIじゃねえんだぞ……」
言い終わる前に、足が前に出る。踏み込み。近づく。刃の懐。普通なら絶対に入らない距離。入った瞬間終わる距離。
――入ってる。
「……は?」
目の前に“当たるはずの線”がある。線の端。そこへ拳が出る。狙った記憶はない。覚悟もない。なのに当たっている。
拳が触れた瞬間、刃の線が一拍だけ欠ける。欠けたというより、その部分だけ世界が「無かったことにした」みたいに薄くなる。
「……え、今の俺!? 俺がやった!? まじで!? いや、まじで!?」
返事の代わりに、次が来る。斜めから、別の刃。上からドローン。地面の反射光がやけに綺麗で、綺麗なほど怖い。
人の密度。
呼吸の間隔。
動線。
全部が揃って見える。
その揃いの中で、ベビーカーが一つ、前へ進んだ。押していたはずの手が、空だ。遅れて悲鳴が上がる。喉だけ残って、人の輪郭が薄くなる。
「待て待て待て!! それは“事故”じゃない!! 事故って言葉で片づけるな!!」
俺の声は、世界に刺さらない。刺さらない代わりに、身体だけが前へ出る。止めたいのに、止めた“結果”が手に入らない。
横に、制服の女子がいる。
銃を構えている。
撃てない角度だ。人が多すぎる。
彼女が、俺を見ないまま言う。
「触れたの、今だけ」
今しかない。
今、殴れ。
今、踏み込め。
今、止まるな。
「今しかないって言われても!! 今しかないの多すぎる!! 俺、今日だけで何回“今しかない”聞いてる!?」
その瞬間、スピーカーが割り込む。方向が分からない。でも、声の質だけは分かる。平たい。冷たい。余計な感情がない。
『……こちらANCHOR。聞こえる?』
「聞こえるけど!! すいません!! 今、状況が雑すぎて!! それどころじゃない!!」
『出力が跳ねてる。今の状態、長く持たない』
視界の端で、AXIOMの文字が増える。
【警告】
手動停止:不可
優先権限:システム
「やめろ!! それ、俺の役目じゃない!! 停止できないなら最初から起動すんな!!」
言葉が追いつく前に、拳が当たる。蹴りが入る。膝。肘。全部、遅れて痛い。遅れて怖い。怖さが追いついた瞬間には、もう次を殴っている。自分の身体なのに、他人の映像を見てるみたいだ。
【警告】
認知負荷:安全域超過
整いすぎた日本語が、冷たく落ちる。
「この状態は可逆ではありません。」
戻れない。
その言葉が刺さる前に、世界が“修復”を始める。
割れたガラスが戻る。抉れた地面が平らになる。焦げた制服の布が、焦げていない顔に戻ろうとする。なのに――消えた人だけが、戻らない。そこだけが空いている。空いているのに、誰も気づかない。
「……やめて……」
誰にも拾われない。拾われない声が、今だけは痛い。
制服の女子が、俺の正面に立つ。銃は下がっている。でも、姿勢は崩れていない。俺を見る目は、評価でも怒りでもない。ただ、確認。
「……立てる?」
「……立てる、けど……」
足が震える。遅れて震えが来る。遅れて息が苦しくなる。遅れて泣きたくなる。遅れて、やっと“自分が自分に追いつく”感覚が来る。
AXIOMが、最後にもう一段だけ、画面を出した。
【最終警告】
AXIOMは操作者の生存を保証しません
目的は「損失最小化」です
損失。
俺の生存は目的じゃない。
「……あー……そういうことね……」
声が、妙に落ち着いて聞こえて、自分で怖い。納得じゃない。でも、理解だけが先に来る。理解が先に来て、感情が追いつけない。
軽い。
身体が、ふっと軽くなる。軽すぎる。
駅前の音が遠ざかる。ドローンの羽音も、悲鳴も、アナウンスも、全部が混ざって溶けていく。
「……ちょ、ちょっと待っ――」
倒れる。倒れる感覚が遅れて来る。遅れて床の冷たさが来る。最後に見えたのは、制服の女子の足元と、伸びてくる手。
――掴まれる、と思った。
でも、その“結果”が来る前に、俺の意識が切れた。
世界はまだ動いている。
動いているのに、俺だけがそこで止まった。
そして、止まった俺を前提に、世界は次の一拍へ進もうとしていた。
