第48話 衝突(いっぱつ殴り合お)


最初に言われたのは、
挑発でも命令でもなかった。
「ねえ」
弾んだ声。
本当に、遊びに誘うみたいな調子で。
「いっぱつ、殴り合お?」
……ああ。
そう来るか。
「それさ」
俺は息を吐きながら返す。
「言い方ってもんがあるだろ」
「あるよ?」
女は楽しそうに首を傾げる。
「一番分かりやすい言い方」
住宅街の外れ。
人はいない。
最初から、いない。
この状況で、その提案。
もう現場じゃない。
遊び場だ。
「ルールは?」
聞いてみる。
「ないよ」
即答。
「だって、殴るだけだし」
次の瞬間、距離が消える。
踏み込みが速い。
でも――雑だ。
拳。
重い。
未来装備の質量。
避ける。
狙ってない。
たまたま、当たらなかっただけ。
「おっ」
女が声を上げる。
「今の、いい!」
「感想言う余裕あるなら、手加減してるだろ!」
返す拳。
形も何もない。
当たればいい。
――当たる。
鈍い衝撃。
装甲越し。
それでも、確かに“殴った”。
女が一歩下がる。
たった一歩。
「へえ……」
目が、完全に輝く。
「あ、これ面白い」
「今さら!?」
そこからは、殴り合いだった。
銃もない。
戦術もない。
ただ、近い。
速い。
派手。
拳。
肘。
衝撃。
地面が割れる。
女は笑っている。
心底、楽しそうに。
「やっぱさ!」
殴りながら言う。
「未来知ってると、迷わなくていいんだよ!」
「それ、褒め言葉じゃないからな!」
「褒めてる褒めてる!」
「失敗しないって、最高でしょ?」
拳が来る。
避けきれない。
腹に、重い一撃。
息が詰まる。
視界が揺れる。
【反射補助】
【一時有効】
――勝手に出るな。
でも、身体は動く。
踏み込む。
殴る。
また、当たる。
女が、今度はちゃんと下がった。
装甲が軋む。
「さすが」
本気で感心している。
だから、余計に腹が立つ。
「ねえ」
声が、少しだけ低くなる。
「君さ」
距離が詰まる。
顔が近い。
「なんで、そんなに必死なの?」
――あ。
「人が消えるの、嫌なんだよ」
言ってから、
「あ、今の言う必要あった?」
って思う。
女はきょとんとして、
それから笑った。
「あー……」
「ああ、そっか」
「君、そっち側かあ」
次の一撃は、
今までで一番重かった。
吹き飛ぶ。
転がる。
背中が痛い。
「それ、効率悪いよ」
女は言う。
「守る前提で殴ると、絶対遅れる」
立ち上がろうとすると、
視界の端で文字が揺れる。
【AXIOM】
【起動条件:接近】
「……おい」
口の端を拭う。
血の味。
「それ、今じゃない」
女は、少しだけ距離を取った。
さっきまで殴り合っていた距離。
「ね」
息一つ乱さずに言う。
「約束、守ったでしょ」
……あ?
「いっぱつ」
指を一本立てる。
「ちゃんと殴り合った」
その軽さ。
その断定。
「あれで?」
思わず聞き返す。
「今の、全部含めて?」
「うん」
即答。
「むしろ、サービスした方」
――ああ。
そういうことか。
「じゃあさ」
笑えないまま言う。
「次は?」
女は、楽しそうに首を傾げる。
「次は、殴り合いじゃないよ」
「だって」
装甲が光る。
離脱準備。
「君、もう“殴るだけじゃ止まらない”でしょ?」
【個体識別候補:F-2】
【参照名:――――】
表示は、最後まで伏せられたまま。
「じゃ」
軽く手を振る。
「次は、ちゃんと“使って”」
跳躍。
派手な音。
残るのは、壊れた街だけ。
俺は、その場に立っていた。
息が荒い。
手が痛い。
「……あーあ」
空を見上げる。
「殴り合いって言葉、
 こんなに安いと思わなかった」
一発、殴れた。
確かに殴れた。
でも――
それが許可された一発だったことに、
気づいてしまった自分が、
一番厄介だった。

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