50話 制圧(勝とうとしないという選択)part1
(A4正式稿)
勝とうとしない、という選択がある。
少なくとも、頭ではそう思っていた。
殴り合いは終わった。
終わった、というより――成立しないと分かった。
距離の作り方も、速さも、こちらが踏み込む前提で設計されている。
当たらない。
当てさせられる。
だから、足を止めた。
逃げない。
追わない。
殴らない。
「……はい」
小さく息を吐く。
「ここまで来て、無抵抗はさすがにダサい?」
黒瀬は、答えない。
返事の代わりに、空気が動く。
音が消える。
正確には、音が“整理される”。
風の向き。
粉塵の落ち方。
建物の軋み。
全部が、同じテンポに揃う。
――ああ。
これが“制圧”か。
「動かないの?」
黒瀬の声。
さっきより、少しだけ低い。
遊びは終わっている。
「動くと、どうなる?」
聞いてみる。
「街が壊れる」
即答。
迷いなし。
「じゃあ、動かない」
肩をすくめる。
「それなら、壊れないだろ」
黒瀬は、少しだけ首を傾げた。
その仕草が、やけに丁寧だ。
「壊れるよ」
淡々と続ける。
「君が止まっても、止まらない」
次の瞬間、
地面が“割れる”。
爆発じゃない。
衝撃でもない。
処理だ。
舗装が、必要な分だけ砕ける。
建物の壁が、必要な分だけ崩れる。
人がいない部分だけ。
「……なるほど」
思わず呟く。
「勝たなくても、悪化するやつ」
黒瀬は肯定もしない。
否定もしない。
もう、その段階じゃない。
視界の端で、文字が揺れる。
さっきより、はっきり。
【AXIOM】
【介入推奨:高】
【判断代行:待機】
――待て。
「やめろ」
低く言う。
「今は、俺が動かないって判断してる」
返事はない。
代わりに、世界の方が先に動く。
制圧は、静かだ。
派手さがない。
だから、逃げ場もない。
「君さ」
黒瀬が言う。
「良い判断してると思うよ」
「それ、褒めてる?」
「評価」
即答。
「でも、意味はない」
一歩、前に出る。
黒瀬じゃない。
制圧の境界が、こちらに寄ってくる。
身体が、反射で動こうとする。
止める。
止めたい。
【反射補助】
【抑制:不可】
――おい。
足が出る。
跳ぶ。
避ける。
自分の判断じゃない。
“安全率”が、勝手に上書きされる。
「ほら」
黒瀬の声。
少しだけ、満足そうだ。
「勝とうとしなくても、使われる」
着地。
地面が割れる。
腕が痺れる。
「……最悪だな」
息が荒い。
笑えない。
「最適だよ」
黒瀬は言う。
「被害は最小。君も生きてる」
生きてる。
確かに。
でも――
選んでない。
「君が止まると」
黒瀬は続ける。
「世界が判断する」
「君が動くと」
「世界が実行する」
一拍。
ほんの一拍。
「それ、同じに見える?」
答えない。
答えたら、使われる。
視界が、狭まる。
音が、薄れる。
【起動準備】
【操作者同意:不要】
「……あーあ」
小さく息を吐く。
「勝たない選択、
こんなに高くつくとは思わなかった」
黒瀬は、距離を取る。
制圧は維持したまま。
「今日は、ここまで」
「十分、見れた」
装甲が光る。
離脱準備。
「次はね」
振り返りもせずに言う。
「君が“止まろうとしても”、
止まれないところまで行く」
跳躍。
音。
光。
静かになる。
壊れたのは、街。
でも、
壊れ始めたのは――
判断の方だった。
手袋の内側が、
まだ、熱い。
俺は、
それを外せないまま、
立っていた
