第49話 本気(殴り合いは成立しない)(A4正式稿)
最初に分かったのは、
距離が合っていない、ということだった。
さっきまでの距離。
殴り合っていたはずの間合い。
そこに立っているのに、黒瀬は“近くない”。
踏み込む。
足は出る。
身体も動く。
でも、
当たる位置に、いない。
「……あれ?」
思わず声が出る。
黒瀬は、笑っていなかった。
さっきまでの軽さが消えている。
楽しそうではない。
ただ、速い。
「続き、やるんでしょ?」
声は同じ。
調子も同じ。
でも、距離の扱いが違う。
次の瞬間、衝撃が来る。
殴られた、というより、
立っていた場所が壊れた。
遅れて、身体が飛ぶ。
背中が地面を打つ。
息が抜ける。
「……っ」
声にならない。
「だから言ったじゃん」
黒瀬の声が、少しだけ遠い。
「殴り合いじゃ止まらないって」
立ち上がる。
反射で。
考えていない。
次の一歩。
踏み込む。
今度こそ――
空を切る。
黒瀬は、
最初から“そこにいない”前提で動いている。
「ねえ」
黒瀬が言う。
「まだ殴る?」
「……そりゃ」
息が荒い。
肺が痛い。
「約束だからな」
「律儀だね」
黒瀬は肩をすくめる。
「でも、それ」
次の攻撃。
今度は拳じゃない。
衝撃波。
建物の壁がまとめて砕ける。
粉塵。
視界が白くなる。
「――遅い」
その言葉と同時に、
腹に、重い衝撃。
意識が揺れる。
立っていられない。
【警告】
【反射補助:自動介入】
――違う。
「……やめろ」
声が、遅れて出る。
でも、
身体はもう前に出ている。
避ける。
跳ぶ。
踏み込む。
自分の動きじゃない。
“当たらない位置に、先に立たされている”。
「ほら」
黒瀬の声。
「出た」
次の瞬間、
拳が当たる。
当たったのは――
黒瀬じゃない。
当たらない場所に、殴らされた。
地面が砕ける。
腕が痺れる。
骨に、鈍い感触。
「……っ、は」
息が漏れる。
【AXIOM】
【起動状態:限定】
【判断代行:一時】
「……おい」
歯を食いしばる。
「それ、俺じゃないだろ」
黒瀬は、少しだけ距離を取る。
もう、近づかない。
「うん」
あっさり。
「君じゃない」
「だから」
黒瀬は言う。
「殴り合い、終わり」
「……は?」
「だって」
装甲が光る。
完全起動。
武装が展開する。
「今の君、
もう“一人”じゃないでしょ」
空気が、変わる。
重くなる。
【出力補正】
【反射優先】
【安全率:無視】
――やめろ。
「それ以上やると」
黒瀬の声が、冷える。
「街が壊れるよ」
視界が狭まる。
音が遠い。
「君が、壊す側になる」
一歩、前に出る。
止まらない。
止めているのは意志で、
動いているのは――
判断だ。
黒瀬は、はっきり言った。
「ほらね」
「殴り合いじゃ、止まらなかった」
装甲が光る。
離脱準備。
「今日は、ここまで」
「次は――」
一拍。
ほんの一拍。
「君が“使われる”ところを、ちゃんと見る」
跳躍。
音。
光。
静かになる。
俺は、
崩れた地面の上に立っていた。
手が震える。
痛みじゃない。
「……あーあ」
息を吐く。
「約束、守ったのは――
俺だけかよ」
手袋の内側が、
まだ、熱い。
それが、
一番、嫌だった。
