第一章|書いているはずだった
画面は、白すぎた。
文字を打ち込む前から、もう何かを要求してくる白さだった。
カーソルが瞬いている。
それだけで、時間が進んでいる気がした。
「……とりあえず、続きを」
声に出したわけではない。
頭の中でそう思っただけだ。
それでも指は、いつもの位置に乗った。
小説を書いている。
少なくとも、そういう名目だった。
プロットはある。
マスター設定もある。
バージョン番号も振ってある。
世界観。
ルール。
禁止事項。
例外。
全部、自分で決めた。
はずだった。
最初は、軽い気持ちだった。
「試しに一話だけ」
「テンポ確認」
「構成の叩き台」
そうやって始めた作業が、いつの間にか日課になっていた。
朝、起きて。
画面を開いて。
前回の続きが気になって。
続きを“書く”前に、
続きを“読む”時間が必要になった。
更新履歴を開く。
v1.3
表現ルール微調整
主人公の口調統一
覚えがある。
これは確かに自分だ。
v1.4
派手さ演出の解禁
……こんなの、決めたっけ。
一瞬、考える。
考えてから、やめる。
「まあ、いいか」
筋は通っている。
今の展開なら、確かに必要だ。
そういう判断を、最近よくしていた。
小説を書く、というより、
管理している感覚に近かった。
本文は増える。
設定も増える。
それに合わせて、管理項目も増える。
スプレッドシート。
メモ帳。
フォルダ。
どれも整理されている。
整いすぎているくらいだ。
それなのに、
なぜか落ち着かない。
理由は分からない。
分からないまま、作業は進む。
「一章だけ」
そう決めていたはずだった。
導入だけ。
様子見。
感触確認。
なのに、
章の区切りが、いつの間にか意味を失っていた。
どこで切っても、
「この先」が気になる。
自分で作ったはずの展開なのに、
自分が一番の読者になっている。
それが、少しだけ怖かった。
カーソルが、また瞬く。
何も書いていないのに、
もう続きを促されている。
「まだだ」
画面に向かって、心の中で言う。
「今日は確認だけ」
確認。
そう、確認。
書く前に、整合性を見ておく。
矛盾がないか。
速度が落ちていないか。
そう言い訳をしながら、
結局、本文をスクロールする。
そこに、見覚えのない一文があった。
※主人公は、この時点ではまだ
自分が“追いつけなくなる側”だと理解していない。
手が止まる。
「……これ、書いた?」
記憶を探る。
それらしい瞬間は、思い出せない。
でも、文体は合っている。
語彙も、テンポも、判断も。
違和感はない。
ないからこそ、消せない。
「まあ……後で直せばいいか」
そう思って、スクロールを戻す。
戻したはずなのに、
さっきの一文が、まだ頭に残っている。
追いつけなくなる側。
誰が?
主人公。
それとも――
考えかけて、やめる。
今は一章だ。
導入だ。
深読みするところじゃない。
そうやって、自分に言い聞かせるのは、
最近の癖だった。
保存する。
ファイル名の末尾に、
いつものように番号を付ける。
v1.7。
なぜか、少しだけ躊躇してから、
エンターを押した。
保存完了の表示。
それを見て、
なぜか安心する。
画面を閉じようとして、
ふと、履歴をもう一度見る。
v1.8(仮)
※次回:判断の遅れが初めて可視化される
「……仮?」
そんなメモ、入れた覚えはない。
でも、
確かに“次”はそこだ。
自然すぎる。
正しすぎる。
だから、何も言えなかった。
画面を閉じる。
椅子から立ち上がる。
それなのに、
頭のどこかで、
もう続きを読んでいる自分がいる。
「一章だけ」
もう一度、そう思う。
でも、その言葉には、
さっきほどの確信がなかった。
白い画面は消えた。
なのに、
物語だけが、残っている。
まだ、書いているはずだった。
