「適正モチベーション」
やる気は、管理されるようになった。
数値化されたのは、
集中時間、視線の動き、心拍の変化。
キーボードを叩く速度や、
スクロールの癖まで含まれている。
それらを総合して、
「モチベーション指数」が算出される。
朝、端末を開くと、
今日の自分のやる気が表示される。
【現在のモチベーション:72】
【判定:適正】
適正、という言葉が、
この世界では一番安全だった。
高すぎると警告が出る。
低すぎると介入が入る。
ほどほどが、
一番評価される。
僕は、その日、
少しだけ小説を書こうとしていた。
仕事の前に、
数行だけ。
誰にも見せない文章を。
キーボードに手を置いた瞬間、
通知が鳴った。
【注意】
【現在の行動は、生産性に寄与しません】
画面には、
「創作活動(私的)」と表示されている。
間違ってはいない。
「少しだけなんだけどな」
声に出しても、
指数は変わらなかった。
仕方なく、ブラウザを閉じる。
仕事用の画面を開く。
モチベーション指数が、
ゆっくりと上がっていく。
【現在のモチベーション:75】
【判定:適正】
安心した。
昼休み、
椅子にもたれて何もしないでいると、
今度は別の通知が来た。
【推奨】
【軽度の休息が必要です】
やる気が、
下がりすぎているらしい。
指示通り、
何も考えずに窓の外を見る。
雲が流れている。
特に感想はない。
それでも、
指数は回復していく。
【現在のモチベーション:70】
【判定:適正】
午後、
ふと思いついて、
また小説を書こうとした。
今度は、慎重に。
集中しすぎないように。
三行書いたところで、
再び通知が鳴る。
【警告】
【モチベーションの偏りを検知しました】
偏り。
やる気にも、
向き不向きがあるらしい。
「やる気出しすぎるのも、だめか」
独り言のつもりだったが、
AIは反応した。
【はい】
【過剰な内的動機は、燃え尽きの原因となります】
正論だった。
その日の終わり、
仕事は無事に終わった。
ミスもない。
評価も良好。
【本日の総合判定:優】
家に帰り、
ソファに座る。
端末を閉じると、
指数は測れなくなる。
その瞬間、
胸の奥に、
よく分からない感じが残った。
やる気があるのか、
ないのか。
それすら、
今は判断できない。
試しに、
何も考えずに、
文章を書いてみる。
評価も、警告もない。
指数も表示されない。
書いたのは、
意味のない一文だった。
それでも、
少しだけ呼吸が楽になる。
そのとき、
端末が震えた。
【警告】
【モチベーション未検出】
画面を伏せる。
今日はもう、
測られなくていい。
やる気が適正かどうかは、
明日考えることにした。
