第3話 部屋に必要なものだけを置く話。
土曜日の午前中は、だいたい何もしない。
何もしない、というのは正確じゃないか。仕事はしない。依頼も、基本的には受けない。ただ、部屋の中で好きなことをする。それが土曜日の午前中だ。
今日は珍しく、九時前に起きた。
シャワーを浴びて、コーヒーを淹れようとしたら、コーヒーの粉を切らしていた。
昨日も切らしてたのに、買いに行くのを忘れていた。
しょうがないのでお茶を淹れる。べつにお茶も好きだ。ただ、朝はコーヒーのほうが気分が出る。まあ、気分の問題だけど。
デスクに座って、お茶を飲む。窓の外は曇っていて、大阪の空はぼんやり白い。
「おはようございます」
AXISが言う。
「おはよう」
「珍しい時間ですね」
「そう?」
「土曜日の平均起床時刻より、四十七分早いです」
「統計取ってたの、そういうの」
「参考程度に」
「取らなくていいって言ったんだけど」
「睡眠に関するものは別枠にしていました」
「別枠にしないで」
まあ、腹は立たない。腹が立つほどのことでもない。
お茶を飲みながら、部屋を見回す。
仕事用のノートPC。私物のデスクトップと、その横に鎮座しているPCケース。冷却ファンが低い音を立てている。オーディオインターフェースとコンデンサーマイク。使い込んだアコースティックギター。モニターは二枚。壁際の本棚には、技術書とSFの文庫本が交互に並んでいる。
生活感は薄い。でも、空っぽでもない。
必要なものだけがある部屋というのは、ミニマリストっぽく聞こえるけれど、そういう思想でやっているわけじゃない。ただ、使わないものを置いておくのが苦手なだけだ。必要になったら買う。必要じゃなくなったら手放す。それだけのことを続けていたら、今みたいになった。
本棚のSFだけは、ちょっと多いかもしれない。
「今日は何か予定がありますか」
「ない」
「そうですか」
「それ、何かあるを期待してた?」
「特に。確認しただけです」
「ふうん」
お茶のカップを置いて、ギターに手を伸ばす。弾くつもりはなかったけれど、触ってみたくなった。ネックを握ると、少しだけ体の温度が変わる気がする。
しばらく、適当に弦を鳴らした。
曲を弾くというより、音を確かめるみたいな触り方。Cのコードを押さえて、鳴らして、少しだけずらして、また鳴らして。誰かに聞かせるためじゃなくて、ただ音がそこにある、という感触を確認するような時間。
三十分くらい弾いてから、ギターをスタンドに戻す。
今日の午後にでも、次の話の設計を少し進めようと思って、投稿サイトを開いた。
管理画面を開くと、感想が一件入っていた。
昨夜のうちについていたらしい。読んでいなかった。
開いてみると、わりと長かった。
読んでいくと、話の雰囲気とか、キャラクターの動き方とか、そういう部分についてのことが書いてある。的外れではない。むしろ、かなりちゃんと読んでもらえている感触があった。
ラブコメの回だった。MTFの主人公が、幼馴染に少しだけ本音を話す場面を書いた回。設計はわりと丁寧にやった自覚がある。
感想の終わりの方に、こういう一文があった。
静かな話なのに、なぜか痛いくらい残ります。
指が、少しだけ止まった。
痛い。
褒め言葉として書いてあるのは分かる。文脈的にそうだし、直前に「好きです」と書いてある。悪い感想じゃない。むしろ、かなりちゃんと読んでもらえた感想だと思う。
ただ。
「AXIS」
「はい」
「痛い、っていう感想は、良い評価ですか」
「文脈によります。今回の文脈では、良い評価と解釈するのが自然です」
「たぶんそうだよね」
「あなたは嬉しそうに見えません」
「嬉しいよ」
「そうですか」
そうですか、というのが妙に淡白で、少し笑ってしまう。
「嬉しいんだけどね」
「はい」
「なんか、引っかかる感じがして」
「どういう引っかかりですか」
それを言語化しようとして、少し考える。
嬉しい、というのは本当だ。ちゃんと読んでもらえたのは分かるし、印象に残ったというのも伝わる。ありがたい感想だと思う。
ただ。
「これ、ラブコメについた感想なんですよ」
「はい」
「僕が書きたかったのはSFで」
「はい」
「書きたいやつじゃないほうで、痛いって言われると、なんか……反応に困るんですよね」
AXISが少し間を置く。
「嬉しくないんですか」
「嬉しい。でも、なんか、複雑」
「複雑の内訳を整理しますか」
「……してみる」
考える。
ラブコメが嫌いなわけじゃない。それは本当だ。書いてみたら、思ったより楽しかったし、読まれるのも嬉しかった。ただ、「痛い」という感想が来るくらい届いたのが、書きたかったSFじゃなくてラブコメだった、というのが、少しだけ引っかかる。
届いているのに、どこか「届いた」と言い切れない感じ。
「届いてほしい場所が、ここじゃなかった、という感じですか」
AXISに言われて、少し驚く。
「……そうかもしれない」
「SFに、同じ感想が来たかったですか」
「来たかった、というか……SFで届いてみたい、みたいな感じかな」
「なるほど」
「なるほど、で終わり?」
「整理できましたか」
「半分くらい」
「では、残り半分は後でいいと思います」
「君、たまにだいぶ雑だな」
「参考程度に」
感想に短い返事を書いた。
読んでいただいてありがとうございます。届いた感じがしました。
送信する前に読み返す。これでいいかと思う。シンプルだし、嘘もない。
送った。
画面をスクロールして、SFの連載の管理ページを開く。こっちは更新が止まっている。感想も少ない。でも、たまに短いコメントが来る。「続き待ってます」というやつが、一件だけあった。
一件だけど、ある。
次の話の設計ファイルを開く。SFのやつ。銀河の端っこで、二人が出会う話。プロットはある程度できている。でも、設計を詰めるたびに、どんどん書きたいものが増えていって、まとまらなくなる。
書きたいことが多すぎる時の話は、だいたいうまくいかない。
「昼、何かリクエストある?」
「私は食事をしません」
「知ってて聞いてる」
「では、お答えしようがありません」
「そうだな」
冷蔵庫に何があったか思い出しながら、立ち上がる。
コーヒーを買いに行くのを、また忘れていた。
窓の外は、さっきよりも少しだけ明るくなっていた。曇りは変わっていないけれど、光の角度が変わったのか、部屋の中が少しだけ白い。
SFに「続き待ってます」と書いてくれた人が、一人いる。
それだけで今日のところは、まあいいかと思う。
コーヒーは明日買いに行くことにした。
