第3話 読まれすぎる自己紹介

 自己紹介というのは、たぶん小説に少し似ている。

 限られた文字数の中で、自分がどういう人間なのかを、なるべく雑に誤解されないように書く。どこを先に見せて、どこをぼかして、どこで「まあ、だいたいこんな感じです」と着地するか。

 ただ、小説と違って厄介なのは、書いたあとに実物が出てくることだ。

 文章のほうが立派だと、だいたい困る。

     *

 朝、仕事を始める前に投稿サイトの管理画面を開いた。

 この習慣は、たぶんあまり健全ではない。起きてすぐ体重計に乗るのと似ている。数値でメンタルがぶれると分かっているのに、なんとなく見てしまうやつだ。

「健康的ではありませんね」

 デスクトップ側のスピーカーから、AXISが言った。

「そこまで言ってないよ」

「でも、近いでしょう」

「否定はしづらいな」

 昨夜上げた短い話に、いくつか反応がついている。閲覧数はいつも通り。感想も、爆発的に増えるわけではない。でも、その少ない反応の中に、最近よく見るアカウントがあった。

 毎回、短い感想を一つだけ置いていく人。

 今回のコメントは、こうだった。

 説明が増えるほど、遠くなる人っていますよね。

 短い。

 短いのに、妙に残る。

「来ていますね、いつもの人」

 AXISが言う。

「その言い方やめて。近所の猫みたいだから」

「継続的観測者」

「もっと嫌だな」

 マグカップを持ち上げる。朝のコーヒーは少しぬるい。だいたいそういう日は、気分も少しだけぬるい。

「この人、毎回ちょっと嫌なとこ触るんだよね」

「褒め言葉として受け取っておきます」

「なんで君が受け取るの」

「近い性質を感じたので」

「最悪だな」

 管理画面を閉じて、仕事用のPCに向き直る。

 午前中は比較的平和だった。問い合わせも少なく、社内チャットも静かで、アラートも鳴らない。何も起きない時間には、何も起きない時間の価値がある。あまりドラマにはならないけど、働く側としてはかなり重要だ。

 ただ、昼休みに入る少し前、個別チャットの通知が来た。

 送り主は別チームの三木さんだった。前に何度か会議で一緒になったことがある人だ。

 要件は短い。

 綾瀬さん、ちょっと文章見てもらってもいいですか?

 嫌な予感はしない。こういう時はたいてい、事件というより言葉の置き場所の問題だ。

 いいですよ

 そう返すと、すぐにファイルが送られてきた。

 来週の社内交流イベント用の自己紹介シートだった。顔写真、所属、担当業務、簡単な経歴、ひとこと。社外の人も少し来るらしく、いつもの社内プロフィールよりちゃんとして書く必要があるらしい。

 開く。

 文面は、よくできていた。

 変化のある環境でも柔軟に対応し、チーム内のコミュニケーションを大切にしながら課題解決に取り組んでいます。相手の意図を汲み取り、丁寧にすり合わせることを心がけています。新しい業務にも前向きに挑戦し、組織に貢献できるよう努めています。

 思わず少しだけ目を細めた。

 正しい。

 すごく正しい。

 そして、何も引っかからない。

「文章としては優秀ですね」

 AXISが言う。

「うん。たぶんAIだね」

「香りがします」

「その言い方、だいぶ嫌だな」

 ちょうどそのタイミングで、三木さんから追撃が来た。

 変じゃないですか?
 なんか、会った人にちょっと構えられるというか
 書いてあることと違いますねって言われたわけじゃないんですけど
 でも、話しづらそうにされる感じがあって

 僕は少し考えてから、通話をつないだ。

「お疲れさまです」

『すみません、急に……』

「いえ。これ、AI使いました?」

『……はい』

 声がちょっと小さくなる。

『自分で書くと、なんか幼くなる気がして。ちゃんとしたほうがいいかなって』

「それ自体は全然いいと思います。整えるのに使うのは普通だし」

『ですよね』

「ただ、これ、三木さんがちょっと立派すぎるかもしれないです」

 電話の向こうで、小さく笑う気配がした。

『やっぱりそうですか』

「文章としてはいいんです。でも、読む側からすると、隙がなさすぎる」

『隙』

「はい。なんていうか……会った時に、“もう完成してる人”に見えるんですよね」

『あー……』

 その反応の仕方は、わりと本人にも心当たりがあるやつだ。

「たぶん実際の三木さんって、そこまで圧のある人じゃないですよね」

『全然です。むしろ最初かなり静かです』

「ですよね。だったら、そこを書いたほうがいいかもしれない」

『静かって書くんですか?』

「悪い意味じゃなくて、ちゃんと人が見える形で」

 画面を見ながら、僕は文章を崩していく。

「たとえば、強みを全部並べるより、“慣れるまでは少し静かですが、話を聞いて整理するのは得意です”とか」

『……あ、それならまだ自分っぽいです』

「あと、ひとつだけ具体的な生活感があると、急に人になります」

『生活感?』

「趣味でも、最近の失敗でも、何でも」

『失敗……』

 三木さんは少し考えて、それから控えめに言った。

『ベランダでバジル育ててるんですけど、三回目でやっと枯れずに済んでます』

 僕は少し笑ってしまった。

「すごくいいですね」

『いいんですか、これ』

「いいです。むしろそれです」

『バジルで?』

「バジルで」

 電話の向こうで、三木さんも笑う。

「たぶん自己紹介って、全部を読ませるためのものじゃないんですよ」

『はい』

「話しかける取っかかりを一個つけるくらいで、ちょうどいい」

 少し間があった。

『……ああ』

「立派に見せるより、間違われすぎないほうが大事というか」

『それ、すごい分かりやすいです』

「よかった」

 最終的に、文章はかなり短くなった。

 慣れるまでは少し静かですが、話を聞きながら整理するのが得意です。最近はベランダのバジルを枯らさないことに成功しました。

 仕事の説明は別欄に最低限だけ残して、自己紹介の部分はそれで終わりにした。

『なんか、急に人間になりましたね』

「さっきまでは?」

『ちゃんとした会社のホームページの人でした』

「ひどいな」

『でも、たぶん本当にそうだったので』

 通話を切ったあと、僕はしばらく修正後の文面を見ていた。

 完璧ではない。むしろ、少し足りないくらいかもしれない。

 でも、さっきまでよりずっと、誰かの顔が見える。

「良い修正でした」

 AXISが言う。

「うん」

「立派さを削って、存在感を足しましたね」

「たまに言い方が妙にかっこいいな」

「たまにではありません」

「自己評価高いなあ」

     *

 昼休みのあと、仕事に戻る前に、なんとなく自分の作者プロフィールを見に行った。

 大阪在住。会社員。小説を書いています。音楽も少し。更新は不定期です。

 必要なことは入っている。

 そして、びっくりするくらい何も分からない。

「だいぶホームページですね」

 AXISが言う。

「今日はなんなんだよ、その評価軸」

「一貫性があります」

 僕はプロフィール文を眺めながら、小さく息を吐いた。

 自己紹介って、だいたい一回は嘘をつく。意図的な嘘じゃなくて、無難に整えたぶんだけ、結果として本人から少し離れる類いのやつだ。

 小説も似ている。

 僕は最初から全部をきれいに書けるタイプではない。場面の芯とか、違和感のメモとか、そういう雑なものを先に置いて、そのあとで一行だけ自分の手で書く。そこから先をAIに続かせて、読んで、違うなと思ったら戻す。

 その一行がないと、だいたい全部きれいで少し遠い。

 プロフィール文も同じかもしれない、と思った。

 全文を直すのは面倒だったので、編集欄の下にカーソルを置く。

「また一行だけ置くんですか」

 AXISが言う。

「便利だからね、このやり方」

「あなたらしいとも言えます」

 少し考えてから、僕は一行だけ足した。

 たまに歌います。

 それだけ。

 説明になっているようで、ほとんど何も説明していない。でも、そのくらいのほうが、まだ自分に近い気がした。

「雑ですね」

 AXISが言う。

「褒め言葉として受け取っておくよ」

「最近、多用していますね」

「便利だから」

     *

 夕方、仕事を終えてから、少しだけ迷った末にギターを持って外へ出た。

 毎日ではないけれど、天気が悪くなくて、気力も残っている日は、駅から少し離れた場所で歌うことがある。許可が取りやすくて、人通りが多すぎず少なすぎず、立ち止まる人も立ち止まりやすい。そういう場所だ。

 派手に集客したいわけじゃない。箱でやるほどの覚悟もないし、毎回SNSで告知するほどの熱量もない。だから本当に、たまたま通った人が少しだけ聴いていくくらいでちょうどいい。

 機材を簡単に整えて、喉を鳴らす。

 最初の一曲を終えたころには、数人が足を止めていた。買い物帰りっぽい人、スーツ姿の人、ただ休んでいるだけに見える人。

 その中に、前にも見た顔があった。

 よく来る、というほどではない。でも、何回か見ている気がする。年齢も職業もよく分からない。拍手を大きくするわけでも、話しかけてくるわけでもない。ただ、曲の終わりまでいて、それから静かに帰る人。

 二曲目が終わったあと、その人がめずらしく声をかけてきた。

「ここ、プロフィールとかないのがいいですね」

 一瞬、何の話か分からなかった。

「プロフィール?」

「SNSのリンクとか、名前とか、すごい前に出してないじゃないですか」

「ああ」

 たしかに、出していない。

 必要なら出せるようにはしているけれど、いつも前面には置かない。なんとなくそのほうが気楽だからだ。理由としてはだいぶふわっとしているけど、実際そうだから仕方ない。

「なんか、そのほうが聴きやすくて」

 その人は言った。

「誰かを知りに来てる感じじゃなくて、ただ声だけ聴けるというか」

 それはたぶん褒め言葉なんだろうと思う。

 でも、その一方で、少しだけ引っかかる。

 声だけ聴ける。

 誰かを知りに来てる感じじゃない。

「ありがとうございます」

 とりあえずそう返すと、その人は軽く会釈をして、また人の流れに戻っていった。

 後ろ姿を見送りながら、僕は少しだけ考える。

 読まれないから近いこともある。

 説明されないから、届くこともある。

 それはたぶん分かる。

 分かるけれど、じゃあそこにいるのは誰なんだろうとも思う。

 だいぶ面倒くさい方向に思考が滑っていくな、と自覚しながら、三曲目に入った。

     *

 帰宅して、ギターを壁に戻して、手を洗って、いつもの椅子に座る。

 すぐに社内チャットの通知が一件来た。

 三木さんからだった。

 さっきの自己紹介、出したら
 「バジルの人だ」って話しかけられました
 ちょっと嬉しかったです

 思わず少し笑う。

 よかったです

 それだけ返して、投稿サイトを開く。

 新しい感想が一件ついていた。

 また、あの人だった。

 言葉が少ないほうが、ちゃんと近くにいる人もいますね。

 画面を見たまま、しばらく動けなかった。

「気になりますか」

 AXISが言う。

「少し」

「感想の内容が?」

「……内容もだけど、タイミングも」

「投稿のたびに来る人、ですからね」

「その言い方すると、急に観測対象っぽくなるからやめて」

「あなたは今、かなり自発的に観測しています」

 否定できない。

 僕は小さく息を吐いて、自分の作者プロフィールをもう一度開いた。

 大阪在住。会社員。小説を書いています。音楽も少し。更新は不定期です。たまに歌います。

 だいぶ無難で、少し足りなくて、でも前よりはまだましだ。

 カーソルを置いて、少しだけ迷う。

 ここでもまた、一行だけ置けばいいのかもしれないと思った。

 でも、それが何なのかはすぐには分からなかった。

 小説なら、場面の芯とか違和感とか、そういう雑なメモから始められる。自己紹介はたぶん、その雑さをそのまま見せるには少し近すぎる。

「難しい顔をしています」

 AXISが言う。

「見ないでよ」

「見えてはいません」

「じゃあ言い方が悪いな」

 少しだけ考えてから、結局そのまま保存せずに閉じた。

 今日はそこまででいい気がした。

「書き換えないんですか」

「うん」

「珍しいですね」

「一行が見つからない時に無理すると、だいたい感じ悪くなるから」

「経験則ですね」

「だいぶね」

 感想欄をもう一度見る。

 短い。相変わらず短い。

 でも、短いくせにやけに残る。

 小説でも、自己紹介でも、歌でも、たぶん同じなんだと思う。

 全部を説明したほうが伝わるわけじゃない。

 むしろ、少し足りないくらいのほうが、ちゃんとそこにいることもある。

「識」

「なに」

「今日は、だいぶ読まれることを気にしていますね」

「そうかも」

「嫌ですか」

 少し考えてから、僕は首を振った。

「嫌っていうか」

「はい」

「ちょっと落ち着かない」

「健全です」

「便利な言葉だな、それ」

 僕はメモ帳を開いて、一行だけ打った。

 説明しすぎると、人はたまに少し遠くなる。

 それだけ。

 うまい文でも何でもない。でも、今の自分には少し近かった。

「雑ですね」

 AXISが言う。

「今日はそれでいい」

 部屋は静かだった。

 静かだけど、空っぽではない。

 自己紹介って、結局は読まれ方の調整なんだろうと思う。どこまで見せて、どこから先は向こうに預けるか。その線引きが、たぶん人によって全然違う。

 僕はたぶん、そこをまだうまく決めきれていない。

 だから、小説でも歌でもプロフィールでも、毎回少しずつ迷う。

 でも、迷うくらいでちょうどいいのかもしれなかった。全部を分かられなくても、全部を分からせなくても、それでも少し近づけることはあるらしいので。

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