第2話 幼馴染はうるさい
人間関係には、たいてい適量がある。
どこまで踏み込むか。どこで引くか。何を言ってよくて、何を言うと面倒になるか。普通はそういうものを少しずつ見ながら距離を測る。
そのへんが最初からだいぶ壊れているのが、幼馴染だ。
金曜の夜、仕事を終えてノートPCを閉じたタイミングで、スマホが震えた。
グループチャットの通知が四件まとめて来ている。
送り主は、だいたい予想がついた。
開く。
最初の一件は、瀬戸大河だった。
今日ひま?
その十五秒後に、佐伯蓮。
ひまやろ
さらに黒川直。
ひまじゃなくても来れるやつやん
最後に、水野恒一。
猫の写真だった。
「会話として成立してるの、最後だけでは」
僕が言うと、デスクトップ側のスピーカーからAXISの声がした。
「成立はしています。圧力として」
「嫌な定義だな」
「要約すると、召集です」
「分かってる」
スマホを見たまま、少しだけ迷う。
今日は投稿用の原稿を少し触るつもりだった。というか、毎週だいたいそう思っている。思って、別のことをして終わる。創作あるあるみたいに言ってるけど、たぶんただの先延ばしだ。
「行くんですか」
「たぶん」
「健全な判断です」
「急に保護者ぶるのやめて」
「一人でいると、だいたい余計なことまで考えるので」
「余計なことじゃなくて、必要な整理」
「そうやって言い換えるところです」
僕は返事の代わりに、グループへ短く打ち込んだ。
行く
すぐに既読が四つつく。
大河が、勝ち とだけ送ってきた。
何に勝ったのかは分からない。たぶん本人も分かっていない。
*
集合場所は、駅前の、妙に照明が明るい居酒屋だった。
おしゃれでもないし、まずくもない。メニューが多くて、金曜の夜でも一人だけ浮くほど高くはなくて、誰かが遅れてもなんとかなる。そういう店だ。
僕が着いた時には、もう三人が座っていた。
「おっそ」
最初に言ったのは大河だった。
こいつは、いつ見てもテンションの出力が安定して高い。携帯ショップの店長なんてたぶん天職なんだろうと思う。人当たりが良くて、雑に場を回しても成立させる力がある。
「十分早いと思うけど」
「いや、お前最後やからな」
「直は?」
「トイレ」
そう言った蓮は、すでに一杯目を半分以上飲んでいた。
勢いで生きてるくせに、あとから理屈で整えようとする男。たぶん本人は、整ってるつもりなんだろうなと思うとちょっと面白い。
恒一はその横で、静かにスマホを伏せた。
「さっきの猫、珍しくじっとしてた」
「それ報告だったんだ」
「たぶん」
声は相変わらず小さい。でも、この人の小さい声は、聞き返したくなる種類じゃない。必要なぶんだけ届く。
「識、飲む?」
「とりあえずウーロン茶で」
「かた」
蓮が言う。
「一杯目から飛ばさなくていいでしょ」
「お前ほんまそういうとこやぞ」
「どういうとこ」
「ちゃんとしてるとこ」
最近よく聞くな、その単語。
「便利な悪口だね」
「悪口ちゃうわ」
「褒め言葉としても微妙だけど」
そこへ、直が戻ってきた。
「ごめん。便座あったかかった」
「その報告いる?」
僕が言うと、直は真顔で頷いた。
「冬やし」
「春だよ」
「春の便座も、まあ嬉しいやん」
「話広がらんなあ」
大河が笑いながら店員を呼ぶ。
注文が始まると、会話は一気に雑になった。
唐揚げはいるか、ポテトは必要か、いやポテトは裏切らない、枝豆は静かすぎる、直は毎回なんでそんな基準で食べ物を見てるんだ、とか。内容は薄い。薄いけど、勢いだけはある。
料理が一通り並ぶころには、テーブルはだいぶうるさくなっていた。
でも不思議と、そのうるささは疲れなかった。
「で、お前仕事どうなん」
大河が串を持ったまま聞いてくる。
「普通。障害が起きたら忙しいし、起きなければ静か」
「当たり前のことを賢そうに言うな」
「今のは別に賢そうじゃなかったでしょ」
「言い方や。なんかお前、全部ちょっとそれっぽいねん」
蓮がそこで笑う。
「分かる。こいつ普通のこと言うても、説明書みたいになる時ある」
「ひどいな」
「でも助かる時もあるやろ?」
恒一が言う。
「ある。家電壊れた時とか」
「あれは説明書が本職みたいなとこあるし」
大河が頷く。
「前、携帯の初期設定一緒にやってる時、店員より店員やったもんな」
「それは君が説明を飛ばしすぎなんだよ」
「だって長いやん」
「必要だから」
「ほら。必要だから、の顔や」
また笑いが起きる。
馬鹿にされているのか、頼られているのか、たまに判断がつかなくなる。でもまあ、この四人に限っては、どっちでもいい気がした。
「蓮は?」
僕は話を返す。
「最近どう」
「忙しい。しんどい。眠い。腹立つ」
「要約が雑すぎるな」
「いや、でも情報は入ってるやろ」
「感情しか入ってないけど」
「それが一番大事やねん」
蓮はジョッキを置いて、少し身を乗り出した。
「客の問い合わせがもう、感情から来るやつ多すぎてさ。こっちは配送状況とか理由とか説明してるのに、向こうは“そういうことじゃなくて”って言うねん」
「そういうことじゃないんだろうね」
「ほらそれや。お前そうやって分かったふうに言うやろ」
「分からないよりはいいでしょ」
「分かったうえでちょっとムカつくねん」
「理不尽だなあ」
大河が笑う。
「蓮はな、理屈で殴りたいんよ。感情で来られると武器なくなるから」
「なくならんわ」
「なくなってるやん」
「いや、ある。あるけど、振り回したら危ないだけや」
「同じや」
恒一がぽつりと言って、四人で笑った。
蓮は不満そうな顔をしつつ、完全には否定しなかった。
こういうところが、こいつの面白いところでもある。感情で動くのに、理屈の人でいたがる。たぶん本人も、その矛盾に気づいてはいるんだろう。
ふと、恒一のスマホが光った。
見て、小さく笑う。
「猫、また棚乗ってる」
「今?」
「うん。彼女から」
「平和やなあ」
大河が覗き込もうとして、恒一に少しだけ避けられる。
「見せろや」
「やだ」
「なんでやねん」
「今のは俺に来たやつだから」
言い方は静かなのに、ちゃんと線を引く。この人はそういうところがある。
たぶん僕が一番安心するのも、そこなんだと思う。無理に踏み込まず、でも遠くもしない。あの距離感は、意外と真似できない。
「そういやさ」
大河が急に思い出したように言った。
「お前、あれまだやってるん? 狸」
嫌な予感がした。
「……何の話」
「配信のやつ。前に直が見つけたやん」
「見つけたっていうか、たまたま出てきた」
直が唐揚げを食べながら言う。
「たまたま狸が歌ってた」
「言い方」
「いや、お前だいぶ普通にやってるやん。歌って、雑談して、たまに変な相談みたいなん読んでるやつ」
「変な相談ってなんだよ」
「人生しんどいです、みたいなやつ」
「急にざっくりするな」
大河が妙に再現度の低い物真似を始める。
「みなさんこんばんはー、狸ですー」
「そんな喋り方してないから」
「でもちょっと分かる」
恒一が言った。
味方が減った。
「そっちにつくの」
「なんとなく雰囲気が」
「ほらな」
蓮まで乗ってくる。
「ていうか、あっちのほうが喋っとるよな、お前」
その一言で、手が少し止まった。
「そう?」
「そう。今のほうが静かや」
「今は飯食ってるからでしょ」
「いや、それ差し引いてもや。あっちのほうが愛想ええというか」
大河が言葉を探すみたいに手を振る。
「サービス業なんよ、狸が」
「なんだよそれ」
「でも分かる」
直が頷く。
「狸はちゃんと相槌打つ。お前は必要な時しか打たん」
「そんなことないよ」
「いや、ある」
蓮が即答した。
「お前、自分の話になると急に口数減るやん」
「そうかな」
「そうやで」
「そうだと思う」
「狸のほうがたぶん話しかけやすい」
「猫配信も向いてるかも」
最後の恒一の一言だけ、また方向が違った。
「なんで猫配信」
「猫がいたら成立しやすいから」
「猫が万能の潤滑油みたいに言うのやめて」
「実際かなり強いよ」
「説得力あるな……」
また笑いが起きる。
嫌ではなかった。からかわれているだけだし、悪意はない。
でも、その中に一つだけ、妙に残る言葉があった。
あっちのほうが喋ってる。
本人より近い。
そう見えるのか、と思う。
「なんや、気にした?」
蓮が僕の顔を覗き込む。
「してないよ」
「今の間は、してるやつやな」
「うるさいな」
「ほら、そうやってすぐ閉じる」
「閉じてないって」
「閉じてるやろ。お前のその“普通ですけど?”みたいな顔、だいたい閉じてる時やん」
言い返そうとして、少し迷った。
蓮はかなり適当なことも言うけれど、ときどき変に当たる。
大河が空気を変えるみたいに、わざとらしく声を上げた。
「はいはい、このへんで一回ポテト追加しようか。重なる話題には炭水化物や」
「初めて聞いた理論」
「ええねん。場を守るためや」
「場ってポテトで守れるんだ」
「守れる時もある」
直が妙に真剣に言う。
「だいたい揚げ物でなんとかなる」
「雑だなあ」
「でも、ちょっと分かる」
恒一がまた静かに肯定する。
ほんとうに、この人たちは、それぞれ違う方向から同じ卓を成立させる。
誰かが場を回して、誰かが熱くなって、誰かが静かに止めて、誰かが変な方向にずらす。そういう流れが自然にできていて、僕はその中で、無理に何かの役を引き受けなくていい。
相談を受ける時みたいに、正しい言葉を探さなくていい。
そのことが、思ったより楽だった。
*
店を出たあとは、駅前のコンビニ前で、なんとなく解散の流れになった。
大河は子どもにお土産を買うと言って店に戻り、恒一は彼女から来た追加の猫写真を見せられている。直はホットスナックのケースを眺めながら、「アメリカンドッグって、たまに人生に必要やんな」と意味の分からないことを言っていた。
少しだけ人が散って、気づくと、蓮が隣にいた。
「なんや」
僕が言うと、蓮は缶コーヒーを一本こっちへ投げてきた。
危なげなく受け取る。
「珍しい。気が利く」
「失礼やな」
「気が利かないとは言ってない」
「ほぼ言うてるやん」
缶を開ける音が、夜気に小さく響いた。
少しだけ沈黙があって、それから蓮が言う。
「お前さ」
「うん」
「考えすぎやねん」
予想していた言葉だったのに、思ったよりまっすぐ刺さった。
「何について」
「全部」
「雑だなあ」
「雑ちゃう。なんでも一回きれいに並べてから理解しようとするやろ」
「悪いことじゃないでしょ」
「悪いとは言うてへん。ただ、間に合わん時もあるってだけや」
僕は黙る。
蓮はたぶん、慰めたいわけじゃない。ただ思ったことをそのまま言っているだけだ。
「人のことも、自分のことも、関係もや。お前すぐ、“どういう状態か”にしようとするやん」
「しないと分からないから」
「分からんままでもええやつ、あるで」
「たとえば?」
聞き返すと、蓮は少しだけ考えて、それから肩をすくめた。
「今日とか」
「今日?」
「別に、俺らがどういう役割で、どうバランス取ってて、お前がどういう位置で、とか、いらんやん」
ぎくりとする。
言っていないのに、少しだけ当てられた気がした。
「ただ昔から知ってるやつが、たまたま集まって、飯食って、うるさかっただけやろ」
「……」
「それでええやん」
その言い方は、理屈っぽくないくせに、妙に整理されていた。
「今の、珍しくちゃんとしてたね」
「腹立つ言い方やなあ」
「褒めてるよ」
「褒められてる気せえへん」
それでも蓮は少し笑っていた。
「まあでも、お前はそうやって考えるやろし、それ自体はええねん」
「うん」
「ただ、たまに休め。頭」
「努力はする」
「努力して休むって、もう休めてへんねん」
それには、ちょっと笑ってしまった。
向こうでは、大河がレジ列から「おーい、誰かポテチ選べや!」と叫んでいて、直が「わさび」と即答していた。恒一はたぶん、それは家で怒られるやつだなと思っている顔をしている。
何も起きていない夜だった。
でも、何も起きていないわりに、少しだけ残るものがあった。
*
部屋に戻ると、冷えた空気と機械の低い駆動音が迎えてくれた。
靴を脱いで、上着を椅子に掛ける。
「生還しましたか」
AXISが言う。
「人を外出ミッションみたいに言わないで」
「社会性の維持、おつかれさまです」
「維持ってほどでもないよ」
「では回復」
「それも微妙に嫌だな」
デスクに座ると、スマホにまた通知が来ていた。
グループチャットだ。
大河が、子ども向けのお菓子と一緒に自分用のアイスを買ってしまった写真を送っている。直が、アメリカンドッグを二本買った報告をしていた。恒一は猫の動画をもう一件追加し、蓮はなぜか わさびはない とだけ送っていた。
意味は分からない。
分からないけど、少し笑える。
「楽しそうですね」
「そう見える?」
「ログ上は」
「ログで人間関係を見るなよ」
「あなたが言いますか」
それはそうだった。
僕は少しだけ苦笑して、投稿サイトの管理画面を開いた。完全に習慣になっている。良くない気もするけど、やめるほどでもない。だいたいそういうものは、やめ時を失う。
新しい感想はついていなかった。
でも、それで別に落ち込むわけでもない。今夜はなんとなく、画面の外にいる時間のほうが先に残っていた。
「識」
「なに」
「少し機嫌がいいですね」
「そうかも」
「珍しい」
「失礼だな」
「事実の観測です」
僕は椅子にもたれながら、さっきの蓮の言葉を思い出す。
分からんままでもええやつ、あるで。
分かる。分かるけど、それを今ここで素直に採用したくはない。そういう面倒くささは自分でもよく知っている。
ただ、今日みたいな夜を、いちいち綺麗に整理しなくてもいいのかもしれない、とは少し思った。
うるさくて、雑で、意味のない会話ばかりだったのに、たまにそういうもののほうが、整った言葉より長く残る。
だいぶ悔しいけど。
「今、若干納得していない顔をしています」
「顔まで見えるの」
「声の温度で」
「便利だなあ」
「便利ですが、あなたほど面倒ではありません」
「それはちょっと悪口だな」
「少しだけです」
部屋は静かだった。
静かだけど、空っぽではない。
今夜はそれで、たぶん十分だった。
