第11話 あなたなら、どう書き出しますか
人のことを短く言うのは、たぶん必要な技術だ。
優しい人。ちゃんとしてる人。話しやすい人。少し面倒な人。あまり近づきすぎないほうがいい人。そういう雑な見出しがないと、人間関係はたぶん毎回フルテキストで読むことになる。
それはそれで、普通にしんどい。
だから見出し自体が悪いわけじゃない。
ただ、困るのは、それがだいたい少し当たっていることだった。
少し当たっているから、余計に本文が見えなくなる。
*
朝、マネージャーから来たチャットは簡潔だった。
昨日の件、三行で要約できますか
だいぶ仕事だな、と思う。
いや、仕事なんだけど。あまりにも仕事すぎると、逆にちょっと面白くなる時がある。
「本日の議題ですね」
デスクトップ側のスピーカーから、AXISが言う。
「なにが」
「人はどこまで三行にしてよいのか」
「急に哲学みたいに言うな」
昨日の障害対応の振り返りメモを開く。
実際に起きたことはそこそこ長い。外部仕様の変化、内部処理の遅延、問い合わせの集中、暫定対応、恒久対応の候補。全部書けば、それなりの量になる。
でも、三行にするとこうなる。
外部連携仕様の変更検知が遅れ、一部処理に遅延が発生。
暫定対応で影響は解消済み。
今後は監視条件と手順書を見直す。
正しい。
かなり正しい。
そして、そこにいた人たちの息切れは、きれいに消える。
「読みやすいですね」
AXISが言う。
「まあね」
「そして、だいぶ要約です」
「三行なんだから当然でしょ」
「そうとも言えます」
マネージャーに送ると、すぐに 助かります と返ってきた。
そういうものだよな、と思う。
忙しい場では、本文より先に要約が必要になる。分かる。分かるけど、そのたびに少しだけ、何かが削れていく感じもある。
昼休み、休憩スペースで三木さんと会った時も、その感覚はまだ少し残っていた。
「お疲れさまです」
「お疲れさまです」
三木さんは紙コップのカフェオレを持ちながら、小さく笑う。
「さっきの三行、すごかったですね」
「どのへんが」
「全部入りなのに、全然読めるところです」
「だいぶ褒め方が業務だな」
「あ、たしかに」
三木さんは少し笑って、それから続けた。
「でも、綾瀬さんって、要約うまいですよね」
「そうかな」
「うまいです。人の話でも、仕事の話でも、“つまりこうですか”の精度が高い感じがする」
それを聞いて、少しだけ引っかかった。
「うれしいような、うれしくないような評価だな」
「え、そうですか?」
「いや、褒めてもらってるのは分かるんだけど」
僕は紙コップの縁を指でなぞりながら言う。
「人って、あんまり要約しすぎると消える時あるから」
三木さんは少しだけ目を丸くした。
「それ、小説書く人の感覚っぽいですね」
「そうかも」
「でも分かります。自己紹介文とかもそうですよね」
「そうそう」
「ちゃんとしてるけど、何も残らない文章ってありますし」
そこで、二人で少し笑う。
この人は最近、たまに変なところで話が早い。
「タイトルとかも、そういう感じですか?」
三木さんが訊く。
「タイトル?」
「はい。綾瀬さん、小説書いてるじゃないですか」
「ああ」
「見出しとかタイトルって、便利だけど強いじゃないですか。先に印象決まるし」
僕は少しだけ黙った。
「強いね」
「やっぱり、考えます?」
「考えるよ。だいぶ」
「得意そうですけど」
「全然」
「えっ、そうなんですか」
「本文のほうがまだまし」
三木さんは少し意外そうに笑った。
「なんか、綾瀬さんって、人にちょうどいい見出しつけるの上手そうなのに」
その一言で、昨夜のメッセージが頭をよぎる。
私に題名をつけてください。
「どうしました?」
三木さんが首を傾げる。
「いや、ちょっと」
「難しい顔してました」
「最近それよく言われるな」
「ちゃんとしてる人、考え込む時すぐ静かになりますよね」
「便利な悪口だな」
「褒めてます」
「みんなそう言うんだよな」
三木さんは笑って、また軽く手を振って戻っていった。
残った甘い匂いの中で、僕は少しだけ天井を見る。
人に見出しをつけるのが得意そう。
たぶん、そう見えるんだろう。
実際はそんなこと、たぶんない。
少なくとも、自分ではそう思っていない。
*
夜、部屋に戻ると、例のアカウントからメッセージが来ていた。
昨日、本文って言ってもらえたの、少しうれしかったです
そのあとに、少しだけ間を空けたみたいな文章が続く。
一つだけ聞いてもいいですか
もしあなたなら、私を最初の一行でどう書き出しますか
そこで、手が止まった。
題名ではなく。
最初の一行。
「返ってきましたね」
AXISが言う。
「嫌な言い方するな」
「しかし、近いでしょう」
近い。
たしかにそうだった。
題名より、むしろこっちのほうが重い。
題名はまだ外側だ。でも最初の一行は、もう本文の中に入っている。しかも、書き出しというのは、書く側の癖がいちばん出る。
だから困る。
「どうしますか」
AXISが訊く。
「分からない」
「珍しいですね」
「珍しくもないよ。こういうのは、分かったふりが一番よくない」
画面を見つめたまま、小さく息を吐く。
もしあなたなら、私を最初の一行でどう書き出しますか。
答えられない。
少なくとも、今すぐには無理だ。
書き出した瞬間に、たぶん何かを決めてしまう。まだ読んでいる途中なのに、勝手に形にしてしまう感じがある。
それは、ちょっと乱暴だ。
僕は慎重に打ち込んだ。
まだ書けません
書き出した瞬間に、少し違うものになってしまう気がするので
送る。
数分後に返ってきたのは、短い文だった。
よかったです
すぐ書き出されるのも、少し怖かったので
その一文で、また少しだけ動けなくなる。
「嫌な精度ですね」
AXISが言う。
「その表現ほんと好きだね」
「今回は、あなたもそう思ったので」
「否定しづらいな」
すぐ書き出されるのが怖い。
それはたぶん、要約される怖さと似ている。まだ本文の途中なのに、先に結論を置かれる感じ。まだ読まれている途中なのに、すでに見出しがついてしまう感じ。
人はそれを普通にやる。
忙しいし、分かりたいから。
でも、やられる側には、やっぱり少し痛い。
*
しばらく返信は止まった。
その間、僕はなんとなく自分の過去の下書きフォルダを開いた。
別に深い意味はなかった。
ただ、最初の一行ってなんだろう、と考えた時に、自分が普段どう書いているのか気になっただけだ。
「現実逃避ですね」
AXISが言う。
「資料集めです」
「便利な言い換えです」
フォルダを開くと、見慣れた終わったファイル名が並んでいる。
短編_仮
短編_仮2
短編_fix
短編_fix_2
短編_fix2_final
短編_fix2_final_本当の最終
「だいぶ終わっていますね」
AXISが言う。
「触れないでほしい過去が近いな」
「現在進行形ですが」
「ほんと感じ悪いな」
適当にいくつか開いて、最初の一行だけ拾ってみる。
まあ、別に大した話じゃないんだけど。
たぶん、最初から分かっていたんだと思う。
別に、傷ついたわけじゃない。
なんとなく、今日は少しだけ空気が違った。
まあ、要するに面倒くさい。
そこで、僕は少し黙った。
「どうしました」
AXISが訊く。
「いや」
「いや、ではないですね」
「僕、書き出しでだいぶ逃げてるなって思って」
まあ
たぶん
別に
なんとなく
どれも悪い言葉じゃない。
でも、どれも少しだけ逃げ道がある。
いきなり断定しない。真正面からは始めない。少し外側から、少しだけ身を引いたところから入る。
だいぶ自覚のある書き方だった。
「あなたの書き出し、逃げ道が多いですね」
AXISが言う。
「最悪だな」
「しかし、特徴ではあります」
「特徴で済ませていいのかな、これ」
「少なくとも、一行で“あなたっぽさ”は出ています」
それはたぶん、褒め言葉なんだろう。
でも同時に、ちょっと痛い。
書き出しには、その人の逃げ方が出る。
そんな気がした。
*
考えすぎて少し疲れたので、その夜は短めの雑談配信をつけた。
別に相談を受けたいわけじゃない。ただ、ひとりで詰まっている時に、少しだけ外の空気を入れたくなることがある。たぶんそういう夜だった。
コメント欄には、いつもの人たちがぽつぽつ集まってきた。
こんばんは。
きた。
今日は雑談?
なんか少し静か?
「最後のやつ、だいぶ早いな」
僕は笑って水を飲む。
「まだ二言くらいしか喋ってないんだけど」
でもなんとなく
気配で
わかるときある
「気配で会話するのやめてもらっていいですか」
少し笑いが流れる。
他愛ない話をして、今日は歌は一曲だけにしておこうかなと思っていた時、コメント欄にこんな一文が流れた。
自己紹介とかって、最初の一文が一番むずかしくないですか
僕は少しだけ目を止めた。
「難しいね」
マイクの前で姿勢を少し直す。
「たぶん最初の一文って、その人の癖が一番出るので」
コメントがゆっくり流れる。
わかる
最初で全部決まりそう
最初だけ異様に盛る時ある
「盛るのはあるね」
僕は少し笑った。
「でも逆に、逃げるのもあると思うんですよ。いきなり真正面から始めないで、ちょっとだけ“まあ”とか“たぶん”とかを置くやつ」
ある
刺さる
今それやってる
「やってる人多いでしょ、たぶん」
たぶん、って言いながら、いま自分もやったなと思う。
気づくとちょっと面白いし、ちょっと嫌だ。
「最初の一文って、説明というより、その人の構え方が出る気がします」
そう言うと、コメント欄が少し静かになった。
それから、ひとことだけ流れる。
その人の逃げ方も出ますよね
僕は少しだけ黙って、それから笑った。
「うん。たぶん、それもある」
誰が打ったのかは分からない。
分からないけれど、妙にちょうどいいところを触られた感じがした。
そのまま歌を一曲だけやって、配信を閉じる。
部屋が静かになる。
画面の余熱みたいなものだけが、少し残った。
*
配信を閉じて数分後、例のアカウントからまたメッセージが来た。
配信、見てました
逃げ方が出る、ちょっと分かります
やっぱり、と思う。
やっぱりというのは、正体が分かったという意味ではない。ただ、ここがどこかで繋がっているんだろうな、という感覚が、また少し濃くなっただけだ。
そのあと、もう一文続いていた。
じゃあ、もう一つ聞いてもいいですか
あなたなら、自分のこと、最初の一行でどう書き出しますか
そこで、僕は本当に止まった。
ああ、返ってきたな、と思う。
今まで僕は、人の違和感を読んで、整理して、少しだけ言葉にしてきた。見出しを付けるというほど偉そうなことではなくても、少なくとも「たぶんこういう引っかかりですよね」と置く側だった。
でも今、完全に逆だ。
読まれている。
しかも、自分の書き出し方で。
「識」
AXISが言う。
「言うなよ」
「まだ何も」
「言おうとしたでしょ」
「かなり近いところまでは」
「それ以上やると気持ち悪いからやめて」
「了解です」
僕は画面を見つめたまま、小さく息を吐く。
自分のことを、最初の一行でどう書き出しますか。
答えられない。
いや、答えられる言葉はいくつかある。たぶん、いくらでも作れる。
でも、それが本当に自分の一行かと言われると、急に怪しくなる。
ちゃんとしてる会社員。
歌う人。
たぬきで喋る人。
小説を書いてる人。
面倒くさい人。
どれも間違ってはいない。
でも、どれも書き出しとしては少し違う気がした。
僕はしばらく迷って、結局まだ送らなかった。
代わりにメモ帳を開く。
いきなり相手に返すには、ちょっと近すぎる時がある。そういう時は、だいたい一回自分の外に置く。
いつもの癖だ。
カーソルを置いて、しばらく考える。
それから、一行だけ打った。
最初の一行には、その人の逃げ方が出る。
それだけ。
うまい文でも何でもない。
でも、今の自分には少し近かった。
「雑ですね」
AXISが言う。
「今日はそれでいい」
「便利な理論です」
「君ほどではないかな」
画面の中では、まだメッセージ欄が開いたままだった。
返信は、もう少しあとでいい気がした。
すぐに書き出せないことも、たぶん本文の一部なんだろうと思う。
部屋は静かだった。
静かだけど、空っぽではない。
読むつもりでいたのに、少しずつ読まれている。
その感じが、まだ少し落ち着かなかった。
