第10話 題名の前に、本文がある
要約は便利だ。
長い会議も、長いメールも、長い相談も、最後はだいたい「つまりどういうことですか」に回収される。忙しい人間は、そのへんを省略しないと普通に死ぬので、要約そのものは悪ではない。
ただ、人間は要約が早すぎるとたまに消える。
そこが、だいぶ面倒だった。
*
その夜から、メッセージは一日に一通か二通、忘れたころに届くようになった。
長文ではない。
むしろ、短い。
短いけれど、その短さが雑ではなかった。ちゃんと削って、そのうえで少しだけこぼしている感じがある。
最初の一通は、前の続きだった。
今日は上司に「ちゃんとしてるね」と言われました
たぶん褒め言葉です
次の日は、こうだった。
同僚に「話しやすい」と言われました
でも、たぶんその人は私の好きな曲を知らないです
その次は、
家に帰って鏡を見たら、今日の私はだいぶ感じのいい人でした
たぶん本物です
でも少し借り物みたいでした
僕はそれを、すぐに返信せずに読む。
読んで、少し置く。
すぐ言葉にすると、たぶん雑になる気がした。
「連載が始まりましたね」
デスクトップ側のスピーカーから、AXISが言った。
「嫌な言い方だな」
「継続的な本文です」
「もっと嫌だよ」
仕事用のPCを閉じて、私物の画面に向き直る。
通知欄には、短いメッセージが静かに積もっている。相談というより、日記に近い。でも日記というには、少し他人に向けすぎている。
読ませるために書いてある。
そこが少し重かった。
「どう返しますか」
AXISが訊く。
「分からない」
「珍しいですね」
「珍しくもないよ。こういうのは、分かったふりが一番よくない」
僕は少し迷ってから、短く返した。
ありがとうございます
読んでいます
すぐ題名にしないほうがよさそうなので、少し考えます
送る。
数分後、返信が来た。
よかったです
すぐ題名にされるの、たぶん少し怖かったので
それを見て、僕はしばらく動けなかった。
「嫌な精度ですね」
AXISが言う。
「君、その表現ほんと好きだね」
「今回は、あなたもそう思ったので」
「否定はしづらいな」
すぐ題名にされるのが怖い。
その感覚は、よく分かった。
名前をつけるのは、理解に見えて、たまに処理でもある。分からないものを、とりあえず置ける場所へ置いて安心する。人間はそういうことを普通にやる。
僕もやる。
やるからこそ、今ちょっと動きにくい。
*
翌日の仕事中、サポート管理画面で一件の問い合わせを見ていた。
自動分類のラベルがついている。
操作ミス
でも本文を読むと、だいぶ違った。画面文言が紛らわしくて、手順も不足していて、初見なら間違えて当然という内容だった。
つまりこれは、操作ミスというより説明不足だ。
「ラベルが雑ですね」
AXISが言う。
「君、なんで今日ちょいちょい人間味あるの」
「あなたがそういうことを考えているからでは」
だいぶ嫌な正しさだ。
僕は分類を変えて、補足を入れる。
ユーザー操作起因に見えるが、UI文言と手順説明不足の影響大
たったそれだけ。
でも、その一行があるだけで、読む側の姿勢は少し変わる。
“ミスした人”として読むのか、“つまずいた人”として読むのかで、次の対応はかなり違う。
タイトルとか件名とか分類とか、そういう入口の言葉は、思っているより強い。
だからこそ、雑に付けると普通にまずい。
「識」
「なに」
「今日は、だいぶ入口を気にしていますね」
「そうだね」
「題名の件ですか」
「たぶん」
あの人が欲しいのは、たぶん格好いい言葉じゃない。
読む前から決めつける見出しでもない。
読み終わったあとで、少しだけ“ああ、こういう本文だったのかもしれない”と思えるような、そういう題名だ。
それはだいぶ重い。
そして、だいぶ僕向きでもある。
そこが少し嫌だった。
*
夜、またメッセージが届いた。
昨日、たぬきの配信で
「丁寧に言い直せるけど、今はこっちのほうが合ってる」 って言ってたの、少しよかったです
そこで、手が止まる。
配信。
たぬき。
少しよかった。
「同一人物の可能性は」
AXISが言いかけたところで、僕は先に止めた。
「やめて」
「まだ何も」
「言おうとしたでしょ」
「かなり近いところまでは」
「それ以上やると気持ち悪いからやめて」
「了解です」
素直に引くあたりが、たまにえらい。
たまにだけど。
僕は画面を見つめたまま、小さく息を吐く。
配信を見ていて、投稿も読んでいて、こうしてメッセージまで送ってくる。
向こうだけが、こっちを少しずつ知っている。
ネットでは別に珍しくない。
珍しくないけど、やっぱり少し落ち着かない。
ただ、それ以上に引っかかったのは文のほうだった。
“少しよかったです”。
この人はたぶん、ずっとそのくらいの温度でしか言わない。
大げさに褒めないし、劇的に助けを求めもしない。でも、ちゃんと何かが残っている時だけ、一言置いていく。
そのやり方が、妙に上手い。
「返信、止まっています」
AXISが言う。
「分かってる」
「動揺ですね」
「観測が早いんだよ」
少し迷ってから、短く返した。
見つかってたんですね
少し恥ずかしいです
送ると、すぐに返事が来た。
恥ずかしいならよかったです
まったく平気そうだと、少し寂しいので
僕は思わず、変な声で笑った。
「なんか、ちょっと強いなこの人」
「そうですね」
「距離感の取り方がうまい人って、たまに急に刺してくるよね」
「あなたも人のことは言えません」
「それはそう」
さらに続きが来る。
あと、題名の話ですけど
きれいな言葉じゃなくていいです
読んだあとで、少しだけ自分が分かるやつがいいです
そこでまた、動けなくなる。
読んだあとで、少しだけ自分が分かるやつ。
それはもう、題名というより読後感に近い。
入口の言葉なのに、出口の話をしている。
「難易度が高いですね」
AXISが言う。
「だいぶね」
「断りますか」
「それは、たぶん違う」
「では」
「少なくとも、今は読むしかない」
僕は少し考えてから返した。
分かりました
でも、たぶんまだ足りないです
もう少し読ませてください
今度の返信は、少し間があってから来た。
ありがとうございます
じゃあ、もう少し送ります
切らないで読んでもらえるの、少しうれしいです
その一文が、やけに静かに残った。
切らないで読んでもらえる。
要約されないで。
ラベルにされないで。
まだ本文の途中として扱ってもらえる。
そういうことなのかもしれない、と思う。
*
週末、路上ライブの準備をしている時にも、その言葉が残っていた。
アンプの電源を入れて、マイク位置を直して、ギターのチューニングを合わせる。体が手順を覚えている作業は、頭の中が少し空くので、余計なことを考えるには向いている。
向いていてほしくはないけど。
「今日は、だいぶ考えごとをしていますね」
イヤモニ越しに、AXISが言う。
「見ないでよ」
「聞いています」
「言い方がちょっと怖いな」
一曲目を歌い終えたあと、前のほうで聴いていた常連っぽい人が小さく拍手した。
「今日は少し、最初から近いですね」
不意にそう言われる。
僕は少しだけ目を瞬いた。
「近い」
「はい。いつもは二曲目くらいから、やっとここに来る感じなので」
「だいぶちゃんと見てますね」
「見てますよ」
その人は、それだけ言ってまた静かに下がった。
近い。
またその言葉だ、と思う。
最近の僕は、ずっと読まれ方の話ばかりしている気がする。自分でも少しうんざりするくらいに。
でも、うんざりするということは、たぶんそこに何かがあるんだろう。
認めたくないけど。
*
夜、部屋に戻ると、またメッセージが来ていた。
今日は昔の友達に会いました
「相変わらず優しいね」と言われました
たぶん、昔の私をあまり覚えてないから言えるんだと思います
その次に、
やさしい、ちゃんとしてる、話しやすい
そういう言葉は、たぶんどれも間違ってないです
でも、どれも本文じゃない感じがします
僕はしばらく、それを見たまま動けなかった。
本文じゃない。
その言い方が、妙にしっくりくる。
見出しとしては合っている。でも、本文にはまだ届いていない。
人に言われる印象というのは、たぶんだいたいそうなんだろう。
間違ってはいない。
でも、それだけで全部でもない。
「どうしますか」
AXISが訊く。
「少しだけ、返せるかも」
「題名ですか」
「そこまでは無理」
でも、今ならたぶん、一つだけ言えることがある。
僕はゆっくりと打ち込む。
まだ題名はつけられません
でも、今送ってもらっているものは、ちゃんと本文だと思います
送る。
返信はすぐには来なかった。
その空白の時間が、少しだけ長く感じる。
「緊張していますね」
AXISが言う。
「そりゃね」
「珍しいです」
「珍しくもないよ。こういう時は普通に緊張する」
「健全です」
「便利な言葉だな」
数分後、通知が鳴る。
よかったです
本文って言ってもらえたの、少しうれしいです
それだけ。
たったそれだけなのに、妙に肩の力が抜けた。
ああ、と思う。
たぶんこの人が欲しかったのは、まだ完成した題名じゃない。
“これは本文として読めるものですよ”と、誰かに言ってもらうことだったのかもしれない。
それはたしかに、少し救いになる。
少なくとも、僕ならなる。
*
メッセージ画面を閉じて、僕はメモ帳を開いた。
いきなり本文を書く気分ではなかったので、いつものように一行だけ置く。
題名の前に、本文がある。
それだけ。
うまい文でも何でもない。
でも、今の自分には少し近かった。
「雑ですね」
AXISが言う。
「今日はそれでいい」
「最近、その理論を多用していますね」
「便利だから」
「私みたいに」
「君ほどではないかな」
部屋は静かだった。
静かだけど、空っぽではない。
人に名前をつけるのは、たぶん思っているより乱暴だ。
でも、人の本文を読むことは、思っているより時間がかかる。
その時間ごと受け取るのが、たぶん今の僕の役目なんだろうと思った。
まだ題名はない。
でも、本文はもう始まっている。
