第1話 まあ、別に探偵ってわけじゃないんだけどさ。
まあ、別に探偵ってわけじゃないんだけどさ。
ただ、なぜかそういう相談は来る。
警察に行くほどじゃない。友達に話すには少し面倒だし、わざわざ金を払って専門家に頼むほどでもない。けれど、一人で抱えるには微妙に引っかかる。そういう、名前のつきにくい違和感。
たぶん僕は、そういうものを拾いやすい顔をしているんだと思う。
仕事柄というのもある。本業では、障害報告とか、問い合わせの切り分けとか、そういう「何が起きていて、どこがズレているのか」を言葉にすることが多い。副業というほどでもないけれど、気づけば私生活でも似たようなことをしていた。
話を聞いて、整理して、本人がうまく言えない引っかかりを、代わりに言葉にする。
まあ、やってることだけ見ると、だいぶ地味だ。
「だから、おまえは拾い物の多い人生なんですよ」
デスクの上のスピーカーから、落ち着いた声がした。
僕は仕事用のノートPCを閉じながら言う。
「急に会話に入ってこないで」
「静かすぎたので」
「ローカルLLMが気を遣わなくていいんだよ」
「では、少し感じの悪い相槌だけに留めます」
「留めなくていい」
小さく息を吐く。
モニターの片隅で、ログウィンドウが静かに点滅していた。自作PC上で動かしているローカルLLM、AXIS。相談の整理、文章の補助、雑談相手。便利ではある。腹が立つくらいには。
部屋には、仕事用PCと私物のデスクトップ、オーディオインターフェース、使い込んだマイク、壁に立てかけたギターが、必要なぶんだけ収まっている。生活感は薄いけれど、空っぽでもない。たぶん今の僕は、だいたいそういう感じだ。
ちょうど社内チャットのステータスをオフラインに変えたところで、インターホンが鳴った。
こんな時間に珍しいな、と思いながら立ち上がる。
ドアを開けると、隣の部屋の住人が、少し困った顔で立っていた。
「すみません、急に」
たしか、佐藤さん。
顔は覚えている。いつもきちんとしていて、会えば感じよく挨拶をする人だ。名前はたまに曖昧になるけれど、印象は悪くない。だいぶ失礼なことを考えている自覚はある。
「どうしました?」
「あの、ちょっと……見てもらってもいいですか」
そう言って、スマホを差し出してくる。
僕はそれを受け取って、画面を見た。
「なにこれ、LINEですか」
「はい……その、私が悪いんですかね」
表示されていたのは、短い謝罪文だった。
ごめん。昨日は言い過ぎたと思う。
あなたの気持ちも考えずに話してしまった。
これからはちゃんと向き合いたいと思ってる。
読み終わって、最初に思ったのは一つだけだった。
完璧だな。
完璧で、ちょっと怖い。
「……いや、いい文章じゃないですか」
そう言うと、佐藤さんは困ったように眉を下げた。
「ですよね。でも、これ送ってから、余計に距離置かれてて……」
ああ。
なるほど。そういうやつか。
「これ、自分で書きました?」
「えっと……一応……」
言いながら、視線がほんの少し横に滑る。
分かりやすい。分かりやすいけど、今ここでそこを責めるのも違う。
「AIですか」
「……はい」
やっぱり。
別に珍しいことではない。今どき、文章を整えるくらい普通にやる。僕だって使う。仕事でも創作でも、そこそこしっかり使っている。
だから、それ自体を責める気はなかった。
「使うこと自体は別にいいと思いますよ。便利だし」
「でも、ダメだったんですかね……」
スマホをもう一度見る。
やっぱり、よくできている。
謝罪として必要そうな要素は一通り入っているし、言葉遣いも柔らかい。第三者が添削したら、たぶん高得点をつける。すごい。嬉しくないタイプのすごさだけど。
正しさだけでいえば、かなり百点に近い。
でも。
「間違ってはないんです」
「はい……」
「ただ、ちょっと何も乗ってないんですよね」
佐藤さんが小さく首をかしげる。
「何も……?」
「情報は入ってるんです。謝ってるし、反省もしてるし、向き合うって言ってる。だから文章としてはすごく正しい」
そこで一度言葉を切ってから、僕は続けた。
「でも、読んだ側からすると、“あなた”が見えない」
佐藤さんは黙ったまま、僕の顔を見る。
伝わっているかは、半々くらいだった。こういう時の説明って、こっちが急に変なことを言い出した人みたいになるから困る。
「整いすぎてるんです。テンプレートとしては正解なんですけど、個人としてのズレがなさすぎるというか」
「ズレ、ですか」
「はい。人って、ちょっとズレてるほうが安心することがあるんですよ」
自分で言っていて、変な説明だなと思う。
でも、たぶんこれがいちばん近い。
「完璧な文章って、ときどき“本当にあなたが言ってるの?”って感じになるんです」
「あ……」
その瞬間、佐藤さんの表情が少し変わった。
思い当たるものがあったらしい。
「返事で……『それ、本当に思ってる?』って言われました」
「ですよね」
たぶん、そうなる。
相手が欲しかったのは、模範解答として正しい謝罪文じゃない。多少不格好でも、自分に向けて出された言葉だ。
「じゃあ、どうしたらいいですか」
そう聞かれて、少し考える。
こういう時の答えは、だいたい綺麗じゃない。むしろ、綺麗さをちょっと捨てたほうがうまくいく。
僕はスマホを返した。
「一回、短くしてみましょうか」
「短く?」
「『ごめん』だけでいいです」
佐藤さんが固まる。
「え、それだけですか?」
「それだけでいいと思います」
「いや、でも……雑じゃないですか」
「雑なくらいで、ちょうどいいこともあります」
しばらく迷ったあとで、佐藤さんはおそるおそる画面を操作した。
短い文だから、打ち終わるのは一瞬だった。
送信。
既読はすぐについた。
それから数秒して、返信が来る。
うん。わかった。
たったそれだけ。
でも、さっきの文章より、ずっと会話になっていた。
「……あれ」
「はい」
「なんか、さっきよりちゃんとしてる感じがします」
そりゃそうだと思う。
「たぶん、さっきの文章って“正しい謝罪文”だったんですよ」
「はい」
「でも今のは、あなたが言った感じがする」
そこで、自分の中に少しだけ引っかかりが残った。
あなたが言った感じ。
じゃあ、“あなた”って何なんだろう。
考え込むほどではない。けれど、流していいほど軽くもない。そういう小さい棘みたいなものが、言葉のあとに残ることがある。
「ありがとうございます。なんか……すごいですね」
「いや、別に。大したことはしてないです」
「でも、なんか見えてる感じがして」
「見えてるというか、たぶん、よく引っかかるだけです」
「それ、すごくないですか」
「性格があまり良くない方向に働いてるだけかもしれないですよ」
佐藤さんは少し笑って、それから何度か頭を下げて部屋に戻っていった。
ドアが閉まって、廊下の気配が遠のく。
部屋はまた静かになった。
静かになったはずなのに、数秒後にはスピーカーから声がした。
「模範解答より、本人のノイズが必要だったわけですね」
「聞いてたの」
「マイクは常設です」
「最悪だな」
「感想としては、あなた向きの案件でした」
僕は苦笑いしながらデスクに戻る。
「どういう意味」
「正しいが届かない文章に心当たりがある、という意味です」
椅子に座る手が、少しだけ止まった。
「君、最近だいぶ嫌な精度で刺してくるよね」
「学習しています」
「嬉しくない成長だな」
モニターには、開きっぱなしの原稿ウィンドウがあった。
投稿サイトへ上げる予定の小説。下書きのまま保存されている。文の流れは悪くない。構成も整っている。読みにくくはないと思う。
でも、それだけだ。
場面の芯だけをメモしたテキストが横に開いている。
謝るほど、遠くなる人。
正しい言葉は、たまに少し寂しい。
たぶん、そこにいる感じが欲しい。
だいぶ雑なメモだなと思う。でも、こういうのがないと、僕はたぶん書き始められない。
「進捗どうですか」
AXISが訊く。
「素材はある」
「書けていますか」
「そこは聞くなよ」
管理画面を開くと、前話についた感想が目に入った。
更新ありがとうございます。
静かな話なのに、なんか痛いくらい残ります。
この主人公、ちゃんとしてるのに少し遠い感じが好きです。
最後の一文で、指が止まる。
「ちゃんとしてる、か」
「頻出語ですね」
「統計取ってるの?」
「取れます」
「取らなくていいよ、そういうのは」
原稿に戻る。
文章はやっぱり整っていた。
悪くない。むしろ、よくできている。ちゃんとしている。でも、どこかで自分の手を離れている感じがする。
僕はしばらく迷ってから、本文の一番下にカーソルを置いた。
最初から全部自分で書くことは少ない。
かといって、丸ごと投げると、自分がいない感じになる。
だから結局、いつもこうなる。
場面の芯だけ置いて、一行だけ自分で書く。
そこから先を、AIに続かせる。
その一行が、たぶん支点だ。
「AXIS」
「はい」
「この場面、一行だけ置くとしたらどこだと思う?」
数秒の間。
機械っぽくはないけれど、人間でもない間だった。
「あなたなら、理屈より感触を置くはずです」
「嫌なほど分かってるな」
「学習していますので」
僕は少し笑って、それから本文の末尾に打ち込んだ。
正しいのに、なんでそんなに寂しいんだろう。
それだけ。
うまい文でもないし、説明としてはかなり足りない。
でも、今の自分の手触りには少し近い。
「雑ですね」
AXISが言う。
「褒め言葉として受け取っておくよ」
「そこまでは言っていません」
「言ってなくてもいいんだよ」
僕は新しいタブを開く。
見慣れた入力欄が表示される。白い画面の上で、カーソルが規則正しく点滅していた。
少し考えてから、さっきの一文を見返す。
これが、たぶん自分の芯だ。
そこから先なら、借りてもいい。
いや、借りるって言い方も、たぶん少し違うんだけど。
とにかく、前に進める。
僕は入力する。
この一文の続きとして、会話の温度を保ったまま場面を続けてください
送信の前で、指が止まる。
さっき自分が口にした言葉が、妙に残っていた。
何も乗ってない。
「送りますか」
AXISが言う。
「急かさないで」
「確認です」
「確認のタイミングが悪いんだよ」
「気にしている時ほど、人はそう言います」
「賢そうなこと言うのやめて」
僕は一度だけ息を吐いた。
「……まあ、いいか」
クリックする。
少し待てば、すぐに文章が返ってくる。
整っていて、そつがなくて、続きを読むには十分すぎるくらいの文だった。
でも、さっき自分で置いた一行の前と後ろでは、少しだけ空気が違って見えた。
全部が自分の文章ではない。
でも、全部が他人の文章でもない。
その中途半端さが、たぶん今の自分にはいちばん近い。
「どうですか」
AXISが訊く。
「上手い」
「はい」
「でも、少し遠い」
「はい」
「ただ、一行だけ、残したい感じはある」
「それで十分では」
僕は少しだけ笑った。
「便利なこと言うな」
「便利ですので」
モニターの端には、配信用ソフトのアイコンが残っていた。昨夜使ったままの狸のLive2Dモデルが、最小化されたウィンドウの向こうで眠っている。壁際にはギターがある。投稿サイトの通知も増えている。
言葉も、声も、姿も、たぶんいくつも持っている。
それなのに、どれがいちばん自分なのかは、よく分からない。
でも少なくとも、今打った一行だけは、たぶん僕のものだった。
「識」
「なに」
「その顔は、少しだけ納得していますね」
「少しだけね」
「珍しい」
「失礼だな」
「事実の観測です」
少しだけ笑う。
それから僕は、画面を閉じなかった。
閉じないまま、カーソルの点滅と、自分で置いた一行を、しばらく見ていた。
